雨天炎天、やれやれ

 きのう、大学生活最後の夏休みが始まった(前期の試験が終わったのです)。何となく、直ぐには帰宅しがたくて生協で本を買い、昼下がりの図書館で健やかに読書。
「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」、そんな気分で帰路につこうとすると、学校の門の前には穏やかでない空気が。「大学当局」と、大学側をそう呼称する人々との揉め事であった。そういえば私は、彼らが何について一生懸命になっているのかも、大学側がどうしてあのような強硬な姿勢を見せるのかも、その本当のところを全く分かっていないのだった。

国のない男

国のない男

 太田光の帯文と、装幀につられて正解だった。ヴォネガットの、人間への愛と、アメリカという国への愛を感じて、アメリカ人としてこの本を読むことができる人々が、ちょっと羨ましい。それにしても、「愛」なんていうことばをわずか一文の中で二度も使うと、ちょっと恥ずかしい。
 今日読んでいた、村上春樹によるギリシャ・トルコ辺境紀行『雨天炎天』のなかで、「愛は消えても親切は残る、と言ったのはカート・ヴォネガットだっけ」という一文に遭遇した。