/単独行動者/

 久々にスニーカーを履いた足/横須賀線/視線のやり場と居眠り/トイレの行列/賑わう通りを吹く少し強い風/せんべいソフトクリーム甘栗クレープ/力車/久しぶりの空白日、鎌倉へ行ってきた。お寺や美術館をのんびり見て、帰ってこよう。そう思いながら、お店と人通りの多い通りを歩ききった後に、その予定外の出会いは起こったのだった。出会いとは概して予定外のものである、とも言えるのだが。駅で貰った地図を広げていた私に声をかけてくれたその人物こそが、この記録の主役である。脇を過ぎようとした老齢の男性、から一転して親切な道案内となったその人と、近代美術館までの道を連れ立って歩く。目的の地に到着。ありがとうございますそれでは此処で、とはならずに、気が付くと人格診断会が始まっていた。もちろん診断されるのは私である。驚いたことに、私はボロボロと涙をこぼしていた。とてもではないが人に投げかけることはできないような(つまり誰かに話したことなどない)、自分の内面的な問題をなぜだか知らないが言い当てられる。それが「分かってもらえた」ということからくる嬉しさなのか、あるいは寂しさと心細さを抑えていた扉が予期せぬ形で解放されたためなのか、それは分からない。だが、いままではどこか馬鹿にするように見ていた、占いや人生相談に依存する人間の心理状態、というよりも占いや相談から彼らが何を得ているのか、ということを知った。結局、鎌倉を後にするまで「おじいちゃん」とデートをすることになる。有体な言葉で言えば、彼には明らかに“下心”があった。しかし、75歳、人生の経験が違う。下心(の表出)のさじ加減の妙に、半ば感心してしまう。石段を登りながら、少し胸が苦しそうになっている様子などを見ると、冷たい態度には出られなかった。また実際、彼の言葉に感謝の念も覚えていたし、「愛すべき人物」であることは疑いようが無かった。(愛すべき人物、ってことば好きだな。普段口にすることはまずないけど。)そして、「若いもん」からは聞くことのできないような、文学・寺社・植物などにまつわる薀蓄やちょっとした一言はとても尊いものだった。奥さんは亡くなったと言っていた。もしかしたらそれは、架空の設定なのかもしれないけれど、このちょっと強引で、でも憎むことのできない生粋の紳士の毎日が温かいものであればと思う。ありがとうございました。
 とにかく遠出をしたかった今日、たとえば乗る電車が一本違っていたり、または鎌倉駅のトイレで並ばなかったとしたら、終日単独行動だったのだろう。
おみやげを買えなかったのは心残りだ。