表現の拙さは遺伝するのかしらん

いい曲だね。こんなの持ってたっけ?
 のろのろと出かける支度をする私に、こう問うたのは母である。昨晩、最後に聴いていたCDをそのまま朝のBGMにしていたのだが、どうもこれは聴いたことの無い代物だぞ、と気が付いたらしい。前の晩の、ヘッドホンにつないでの再生が初めてだったのだから、“聴いたことの無い”のは当然のこと。朝はテレビをつけない(動けなくなるので)代わりに、自室のアンプで音楽をかけてドアを開け放っておく、というのをほぼ毎日毎日何年も続けているので、いつからか彼女は得意気に感想を口にするようになった。たとえば、流れているのがナンバーガールだったりすると「あたしこれきらい」と言うし(ただしファーストは例外)、スピッツだと決まって歌いだすし(とても音痴なので、私は一瞬死んだフリをするという暗黙の掟がある)、ジョン・メイヤーを初めて聴いたときはやはりあの声が気に入ったようで「いい声だねえー」とかなんとか言っていた。ちなみにノイズを含まないギターものに対する反応は大別すると二つあって、ふつう「ウルサイ」と言いそうなものをひたすらノーコメントでやりすごすか、突然「ここがすき!」と言って私の表情を伺うというもの。そして、いわゆる“古き良き”音楽への反応が、一番薄い。たぶん、これには長きにわたり培われた免疫があるからだろう(もちろん発信源は父だ)。
 さてさて、今朝の彼女に「いい曲だね」と言わしめたのは、昨日の日記にも登場したベン・クウェラーである。2nd"On My Way"よりも胸きゅんフレーズが60%増といった内容で、放っておいても各曲につき最低1度はきゅんとさせてくれる手筈が整っている。アルバム冒頭から敵のワナに掛かってしまってしまうのも無理はない。かくいう私も、ひょいひょいと甘い小技をキャッチしていたのだが、だんだん、少しずつ冷静になってきて「甘いのはもうこのくらいでいいかな」という気持ちになっていく。(これが甘い食べ物とかだとちょっと気持ち悪いくらいでも手が止まらなかったりする…。)そうそう、2ndもすごく好きな曲が何曲かあったし、一曲一曲はどれも良いなぁと思うのに、いまひとつ繰り返し通して聴く対象にはならなかったのだった。ベン・クウェラーを食べ続けられないのはたぶん、力加減、味付け加減がどれもピッタリ一緒で、舌の感覚が膨張してしまうからだろうな。と、今朝の歯磨きが終わる頃、CDが止まったことになんだかホッとしながら思ったのだ。また、すこし寝かせてから聴こう。


 なに書いてるんでしょう私は。