recycle

 ヘッドホンで音楽を聴くと、例えば最後の一音の伸びかた(消え方)一つとっても、それがそれまで自分の耳が全く捕らえていなかったものだったりして、その瞬間、もう何度も聴いているはずのその曲に初めて出会ったような気持ちになる。このCD、もう大分昔に何回も聴いていたけど、いつもスピーカー越しだったんだ、というのは結構驚きの事実だったりもする。スピッツのリサイクルでついさっき体験したこと。

 課題のレポートを書くために、“日本と戦争”に関する新書を二冊読んでいるのだけど、今さらながら自分の無知さを思い知る。だけど、ここ数日、この二冊をつまみ食い的に読んだだけで、バラバラだったものが大分繋がってきた感じがする。たぶん、選んだ二冊がともに良書だったんだろう。
・『戦後史』中村政則著(岩波新書
・『近代日本の戦争』色川大吉著(岩波ジュニア新書)
ジュニア…という照れはさておき、まるで現役ボクサーの身体のように、無駄も無く、隙もなく、かつ「過剰」さとも無縁の色川さんのような文章を身に付けたいと思う。(過剰な文章も大好きだけど。)知らないことが多いから、ふむふむ!と思う箇所にやたらと出くわす。『戦後史』の方から、何の脈絡も無く抜粋。

…批判には三つのタイプがある。①イデオロギー批判、②内在的批判、③体系的批判であり、①は、「帝国主義イデオロギー」だとか、「小ブル急進主義」だとかいうレッテル張りである。(中略)時として有効な批判の仕方であるが、一番レベルの低い批判である。
 ②は、相手の論理に内在する事実の間違いや論理の矛盾を指摘して、相手の主張を突き崩す批判の方法である。学界などでも、この内在的批判がいちばん多く見られる。③は体系には体系を対置して、相手の体系を圧倒する方法であって、これが批判の最高形態である。(p234)

ふむふむ!…しかしレポートに何をどう書くか、という段になると途端にテンションが下がりはじめる。がんばろう。(深夜のスピッツにはカフェインが含まれている?)