セロテープの台は小象のような形をしていた

 朝刊の片隅にあった記事に背中を押してもらい、竹橋の東京国立近代美術館に行ってきた。目当ては「柳宗理 生活のなかのデザイン」だったけど、入館料の130円(大学生)で、常設の絵画もたくさん見ることができた。おかげで“なにかをじっくり見たい”という欲求がすっかり満たされた。絵画の展示を見てまわっていたとき、とくに惹かれたのが、ディラン・トマスという詩人の作品に日本人の版画家*1が画をつけた詩画集『緑の導火線』の元刷り(?)原稿だった。この詩というのがなかなか素晴らしいもので、一つずつじっくり読みながら、やっぱり活字(というか文字の芸術)が好きだなぁと、認識をあらたにする。
 しかし何と言っても、今日は竹橋駅周辺の景観に胸を打たれた日だったと思う。すっかり濁ってしまっている水の上に、白鳥が姿を現したときはとてもびっくりした。近くで見る白鳥は、体が大きくて、首のつけねを境に色が少し違っている。「つけね以降」の白さは、あの辺りで一番派手な色だった。今度行ったら、今日見かけた二人のように自分も、お堀沿いのベンチで本を読みたい。

 夜は飲み会で、日中の散歩効果がどんどんしぼんでしまった。


今日出会った、スゴイ一行。
「夕飯前に、霧の中を金魚のようにフカフカ歩いてポストへ行く。」*2

*1:追記:木口木版画家の日和崎尊夫氏。

*2:林芙美子「ひとり旅の記」(昭和7年)より。『下駄で歩いた巴里』(岩波文庫)所収。