セルフタイトル

 小さい店で、探しているものが全滅だったときにふと、懐かしい名前が目に入ると、「買うか否か」のメーターは間髪入れずに買うの方へ振れる。そんな、がっかりの反作用で数日前に買ったCDを聴きながら。
・ブックレットの「ぼくはぼくのこと好きさ」濃度が比類のない高さ
・「ギター&ピアノからドラムスまですべて自らこなす私小説的なアプローチ*1」というくだりで、今年受けたいくつかの授業の記憶がよみがえってきた
・このアルバムは「がっかり」ではない
ベン・クウェラー、3rdアルバム(いまちょうど全12曲が終わった。)ブックレットにも文句はない。

 林芙美子が応接室に座したかと思えば、和田誠梨木香歩須賀敦子の三人はエッセイを手土産に居間でくつろぎ、ヴォネガットは時折異界から顔をのぞかせるので、どれひとつとして読み終わらない。(何を言ってるんだか…そもそもうちに応接室なんてものは無い。)
“小辞典で見るとtimidとTimbuktuのあいだの単語はぜんぶ時間timeに関係している”のかどうかを、確かめそびれている。

*1:ライナーノーツより

セロテープの台は小象のような形をしていた

 朝刊の片隅にあった記事に背中を押してもらい、竹橋の東京国立近代美術館に行ってきた。目当ては「柳宗理 生活のなかのデザイン」だったけど、入館料の130円(大学生)で、常設の絵画もたくさん見ることができた。おかげで“なにかをじっくり見たい”という欲求がすっかり満たされた。絵画の展示を見てまわっていたとき、とくに惹かれたのが、ディラン・トマスという詩人の作品に日本人の版画家*1が画をつけた詩画集『緑の導火線』の元刷り(?)原稿だった。この詩というのがなかなか素晴らしいもので、一つずつじっくり読みながら、やっぱり活字(というか文字の芸術)が好きだなぁと、認識をあらたにする。
 しかし何と言っても、今日は竹橋駅周辺の景観に胸を打たれた日だったと思う。すっかり濁ってしまっている水の上に、白鳥が姿を現したときはとてもびっくりした。近くで見る白鳥は、体が大きくて、首のつけねを境に色が少し違っている。「つけね以降」の白さは、あの辺りで一番派手な色だった。今度行ったら、今日見かけた二人のように自分も、お堀沿いのベンチで本を読みたい。

 夜は飲み会で、日中の散歩効果がどんどんしぼんでしまった。


今日出会った、スゴイ一行。
「夕飯前に、霧の中を金魚のようにフカフカ歩いてポストへ行く。」*2

*1:追記:木口木版画家の日和崎尊夫氏。

*2:林芙美子「ひとり旅の記」(昭和7年)より。『下駄で歩いた巴里』(岩波文庫)所収。

皿になるか釘付けか

UNCHAINというバンド。the band apart みたいな音なんだけど、細部にもっともっと色んなモノが凝縮されている感じ。うわーこの人たち、きっといい音楽をたくさん聴いてきたんだろうなー!というような。日本の若者じゃないみたい、玄人、このボーカルはちょっと新しい、などなど何ともエラソウ(でいつものように抽象的で幼稚)なことを興奮のうちに思う。曲が終わるまで、リモコンが手から離れなかった。
↓ここで聴ける、かな?私が釘付けになったのは"make it glow"という曲でした。
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・あのモスグリーンのhi-lightのデザインは、和田誠さんによるものだ。という小ネタを手に入れたのだ。

不摂生な生活の終焉に際して

(朝記す。)徹夜は大学に入ってから初めてしたけど、それ以来なぜか、コールドプレイの"InMyPlace"が朝にじんわりと達成感を感じながら聴く曲と決まっている。今回はちょっとフライングして、まだ外も暗くて、完成もしてないうちに聴いてしまった。アルバムの一曲目はきつ過ぎて、毎回飛ばす。そして"InMyPlace"よりも、"WarningSign"とさいごの"Amsterdam"にぐっときて、満足する。

 最後のおおもの、日本近現代史のレポートが何とか完成。途中何度かもう無理かと思った。参照した5冊のうち4冊が岩波の一味で、巻末の「○○に際して」というのが、各シリーズについていることを発見して、ぐっときた。ぐっと来やすいのが徹夜明けの特徴です。

(夜記す。)上記のあと、提出期限まではまだ間があったため、書けそうになくて提出を諦めていたものをギリギリまで粘ってみることに。予め「家を出よう」と決めていた15時に、二つ持って出かけることができた。天晴れ。これで正真正銘の完了。
 帰り、生協は既に閉まっていたので、学校近くの書店へ。ハードカバーのどっしりした本でも買おうかと思ったけど、結局文庫を二冊。しかもどちらも女性作家のエッセイ集。自分にしては珍しい買い物だ。
・『あるようなないような』川上弘美(前図書館で読んだんだけどなぁ)
・『コルシア書店の仲間たち』須賀敦子(この人の本をずっと読んでみたかった)
須賀さんの文章は、びっくりするようなタイミングでシビアな単語が出てくることが多くて、読前に勝手に抱いていたイメージとは結構ちがう。『あるようなないような』はやっぱり買って良かった。

「ここはそんなに大事か?」

 朝方眠りにつく日が続いている。今回は、いつもより早くから準備したつもりだったんだけどなぁ…。図書館で(地上の二冊は貸し出し中だったため、アンダーグラウンドから)借りている分厚い本が、とても状態の良いものだったので、ひょっとすると自分はこの本の初めての読者なのでは…と何となくいい気分になっていたが、それは全くの思い違い。後半のある章で突如、線引き(A)が出現。図書館の本(しかもきれいな)に線を引く人の気が知れないけど、深夜で弱気になっていたりすると、旅の道ずれのようで憎めない。と思っていたら、それからしばらくして明らかに“第二の人物”の手による線(B)が登場。Aは濃さも控えめで、引き方も的確(な感じ)だったけど、Bは間違っても一緒に旅をしたくないと思わせる代物。傍線、波線、囲み、かっこいれ、濃厚な線であらゆる技を繰り出している。

 「衣装をたくさんもっているってことが、どれだけ新鮮な印象をもたらすことか!」みたいな一文をきのうから捜索中。ギャツビーの中にあったはずなのに見つからない。ワイシャツをポンポン取り出すシーンかと思ったが、その近辺には見当たらず…。なにか別の小説だったのか、へんな夢でも見たのか…気になる。何でそんなものを探し始めたかというと、つい最近まさにそういう感慨を味わったのと、自分はいつも代わり映えしないなぁ、と苦笑いしたくなったため。

 気分転換を兼ねて目を覚ますつもりが、けっこうな長さに。線相手のつっこみに飽きてきたのかも。今日山をひとつ越えた。そしていまふたつめを登っている。

まどろむイルカを尻目に

・『本の雑誌』を今日は立ち読みできた。青山さんはああいう文章を書くんだネ。
・山田はいなかったけど、戦車の挿絵は期待に違わずかわいかった。(切らずに写してしまった)文章も面白い。

眼→肩→頭(反対もあり得る)

 14日のインテリ源チャン登場の講演会、楽しみにしていたのに行けなくなってしまった。レポートが抜き差しならない状況だから、ではなくて、抜け出せない用事が出来てしまったため。レポートは書かにゃならんし、講演会にはいけないし。「用事」のための数時間は、電車に乗り遅れて遅刻が決定したけど、ホームに立つ自分は焦るだけで何もすることがない、という時とちょっと似た精神状態になると思う。